「高い」
私が外食に飽きてしまった理由のうちで、“値段が高い”ということは必ずしも絶対的な金額が高いということではなく、“値段当たりの満足感が得られない”と言った方がより正確です。
我が家で外食といえばごく庶民的にファミリーレストランや百円回転寿司です。我が家はつつましい生活をしていますし、子どもがまだ小さいので、他に選択の余地があまりありません。また、節約が身に染みついているので、意識的・無意識的に値段が分かっている店でないと入る気がしません。また地理的なことや好みがありますので、さらに範囲は狭まります。加えて私自身は入った店のもっとも安いメニューを頼むようにしているので、店ばかりかメニューまでもが大体決まってしまいます。
こうして安い店、安いメニューという条件に合致する食事というのは、ほとんどすべてが家庭でも充分再現できるものばかりになります。しかも、同じ予算で考えると家庭で作った方がより良い材料を使うことが出来ますので、家庭の方が美味しく作ることが出来ます。つまり、“値段当たりの満足感が得られない”ということになるのです。
しかし、私が外食は値段が高いと感じる理由は他にもあります。それは私のような庶民の行く店の食事の質が以前よりも低下していると感じるためです。
私は両親がともに働いている家庭で育ちました。ちょうどバブル経済のなか母も忙しく働いていたので、子どもの頃から外食をする機会が結構多くありました。その頃の外食はファミリーレストランなどでも現在よりも高価だったように思います。それに当時は調味料や食材、調理器具等が現在ほど豊富な種類が身近にあるというわけではなかったので、外でする食事は家庭の味とは少し違う価値がありました。
それが現在では以前よりも値段は安くなったものの、味も家庭との違いもあまりなくなってしまいました。いやむしろ、家庭で作るよりも高価で、家庭で作るよりも美味しくないのですから“値段当たりの価値がない”ということになるのです。
以上二つの理由から、私のような貧しい人間の行くことのできるお店での食事は値段が高いと、私は思います。それでも時々は家族を連れて外食に行くのは、安い外食が安い家族レジャーになっている、それだけの理由です。