「満腹感しか残らない」

食事をしに店に入るとき人は空腹であり、店を出るときは所持金が減っている代わりにお腹が満たされています。そして、しばらくすると食物は消化されて体内に吸収され、もはや本人にもその存在を感じることはできなくなります。
 これはいうまでもなく当たり前のことですが、私は外食の(あるいは外食でもっとも顕著な)そうした“一過性”ともいえる側面があまり好きではありません。ましてや、金額面でも家庭で同様のものを食べるときよりも高価であることを考えると、です。
 もう少し分かりやすく言うならば、外食は食べることとレジャーという性質に限定された、あるいは特化したものである一方で、家庭で食べる食事はその二つの他に様々な性質を持つ日常のイベントであるということです。
 小さな子どもがいるとそれが良く分かります。家族そろって買い物に出掛け、時には子どももお手伝いをしながら料理を作り、協力して後片付けをする…これらはひとつひとつが別個の家族イベントであり、それぞれが食事に豊かな“味”を付け加えてくれるのです。たとえ料理の品数が豊富でなくても、また節約料理であってもそれは変わることはなく、やがて家族の歴史になっていきます。
 翻って外食はそうではありません。ファミリーレストランの番号札の付いたテーブルには私達家族の世界はありません。私達家族は大人二名・子ども二名の団体の一つであり、客単価が低いうえに客席の回転効率の悪い集団でしかありません。「美味しかった!」といっても嬉しそうにしてくれる作り手がいるわけではなく、作り手が食べている我々の表情を気にしている訳でもありません。挙げていけばきりがありませんが、要するに外食は食事にまつわるイベントや心のやり取りが極端に少ない行為だと思うのです。
 極端にいえば、“満腹感しか残らない”といって良いと私は思います。
最近は外食産業で成功した人物がマスコミに露出することが多く、“ビジネス上の成功者”、“人生の成功者”、“人格者”として描かれているのをよく見かけます。前二つについては私も同意しますが、最後のひとつについては疑問です。私は家族で外食しても彼らが語るような幸せを感じることができないからです。